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漢字館血風録
漢字館誕生まで 〜プロローグ〜
その日は雨が降っていた。
サングラスの男が、ドアを蹴破るように開けて入ってきた。
「この雑誌の編集はSがやっているんだろ。Sを出せ!」
この雑誌とは、その年の1月に出た「漢字館」のこと。
Sとは編集すべてをお願いした、前の会社の同僚だった。
実はこの雑誌を出すまでには、ちょっと入り組んだいきさつがあった。
漢字館Vol.1が発売されたのは平成13年1月のこと。
当時、私はオデッセウス出版で、制作進行という仕事についていた。
ある日、某社の漢字雑誌の編集をしているSさんが遊びにきて、これからは漢字パズルが流行るという話をした。
オデッセウス出版では、1年前に出したパズル誌の売れ行きがあまりよくなく、何かそれに替わるものをと考えていたので、さっそく漢字パズルの流行に乗ろうとした。
そしてSさんは、もう一誌手がけたいと思っていた。
両者の利害が一致した。
平成13年1月に漢字館Vol.1が発売された。
当時は、まだそんなにパズル誌の競争も激しくなく、Vol.1は好調な滑り出しをした。
そうなると続けて出したい。
Vol.2を3月に発売することはすぐに決定された。
しかしSさんは、パズル誌の編集を他社ではしないという契約を、サングラス男の会社であるA社と結んでいたのだ。
サングラスの男がやってきたのは、Vol.3(5月発売)の編集が進行真っ最中の4月のことだった。
なぜ漢字館の編集者がSさんだとわかったのか。
自分が編集に携わってからその理由がわかった。
それは編集スタイルとパズル作家名がSさんの編集するパズル誌と、まったく同じだったからだ。
その男の勢いに私たちはおびえ、警察を呼ぼうかとも思った。
その時、社長が立ち上がり、落ち着いた様子で男を打ち合わせ室に迎え入れた。
社長は静かだが、男の勢いにも勝る凄味(?)をみせながら男と話し始めた。
男は漢字館の差し止めを要求した。
しかしオデッセウス出版は、SさんとA社との契約とは関係がない。
そのためSさん以外の人が編集をすれば、漢字館の発行にはなんの問題はない。
社長の話に納得した男は、入ってきた時とは打って変わって、「いい人」風になり、傘を振りながら帰っていった。
サングラスと傘のアンバランスさ、なんだか間抜けなヤクザに見えた。
しかし、あと1ヶ月後にでる雑誌を引き受けてくれる編集プロダクションをさがすのはとても無理。
せっかくVol.1、2と続けてきて、しかも世は漢字パズルブーム。
会社側としてはなんとしても存続させたい。
元々、漢字館のプレゼントページは私が作っていた。
とりあえず、Vol.3の途中から全部、引き継ぐことにした。
ちょうどよかったのだ。
Vol.2は、Sさんの友人という校正者担当者が、かなりいい加減に校正をしたため、クレームの嵐だったので、再出発するのにいい機会かだったのかもしれない。
動き出した船に途中で飛び乗る
さてVol.4(5月発売)まであと1ヶ月しかない。
パズルの問題自体は、Sさんが集めてくれていたものを、そのまま使用できることになった。
しかし、表紙、デザイン、DTPなど、これからの手配になる。
表紙のイラストレーター探しから始まった。
そう簡単には見つかるわけがない。
今でこそ、イラストレータさんたちは、個人のHPで宣伝をしているが、当時はまだインターネットは、そこまで普及していない。
またオデッセウス出版は、グラビア誌と情報誌が主だったので、イラストレーターを知らない。
時間がない。何とかしなくてはと焦る。
そのとき、以前、グラビア誌でカメラマンとして協力してくれていた人が、イラストも描くのを思い出した。
早速連絡をとり、納期もないのだが、なんとか説得し了解してもらった。
次は編集スタッフ。
いくら何でも私ひとりではできない。
知り合いのプロダクションの紹介で、今はフリーとなった、パズル誌編集経験者のS下さんに手伝ってもらえることになった。
私はパズル誌の編集は初めてなので、彼女のヘルプは大変心強い。
そしてDTPを受け持つ会社をさがす。
グラビア誌のDTPをやってくれているところが引き受けてくれることになった。
さらに校正者。
これもまら、知り合いの編集プロダクションから紹介してもらい、1冊まるごとお願いすることができた。
そして本文のイラスト。
知り合いの若者3人に振り分けることにする。
スタッフはなんとかそろった。
こうして私の編集長デビュー号がスタートしたのだ。
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