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 東海道五十三次 今も昔も
日本橋

江戸と京都を結ぶ東海道、その起点である日本橋は、徳川家康が幕府を築いた慶長8年(1603)に架けられたといわれています。白木屋などの大型商店、両替屋などが立ち並び、江戸経済の中心として、賑わっていました。
また、日本橋のたもとには、魚河岸があり、一心太助のような、江戸っ子気質の魚屋が活気に溢れた商いをしていました。この広重の絵でも、大名行列をさけようとする、魚売りの姿が描かれています。
現在の日本橋は、東京市により石造二連アーチの道路橋として、明治44年に完成しました。
15代将軍徳川慶喜の筆による橋銘 魚河岸発祥の地

平塚

現在の東海道五十三次の宿場町には、広重の描いた世界は、もうありません。しかし、この平塚宿の高麗山は、今も変らぬ姿を見せてくれます。
見附とは、城下に入る門を示す場所で城門のことをいい、城下に入る人々を監視する見張場でした。そのため、城下の見附は石垣積みの堅ろうな門が設置されていました。
怪談「番町皿屋敷」で有名なお菊の墓がこの平塚にあります。平塚宿の役人の娘お菊は、江戸の旗本青山主膳のところに行儀作法見習のため、奉公にでていた時、その家来に懸想され、断ったための言いがかりから、手打ちにされたという事件が「番町皿屋敷」の元となったと言われています。
平塚宿見附跡 お菊塚
東海道五十三次(保永堂版)「日本橋」「平塚」東海道広重美術館所蔵
漢字館Vol.29 掲載