《ちょっと賢くなれる雑学 TOP

 戦国の世に咲いた花
戦いの日々の中に咲いた花、美しさと儚さは、男たちの夢のなかで、根無し草のように奔流され、散った…

命の持ち帰りこそが功名の種
山内一豊の妻 千代
 信長、秀吉、家康に次々と仕えた山内一豊は、土佐一国を預かるまでに出世しました。そのかげには妻千代の支えがあり、後々まで千代は「糟糠の妻」の代名詞となっています。
 その有名な逸話の一つが合戦前に馬を集めて検分をする「馬揃え」です。貧しい暮らしの山内家には良い馬がありませんでした。そこで千代は、嫁入りの時に持ってきた十両で駿馬を買い、「馬揃え」の為の一豊の支度を整えました。そのおかげで一豊の姿は信長の目にとまり、出世の糸口となったそうです。

お玉の涙
細川ガラシャ夫人(ガラシャ/意味:恵み)
 明智光秀の娘・玉は、信長による政略結婚で細川忠興に嫁ぎますが、本能寺の変が起き、細川家は光秀に従わない証として、玉を山奥に幽閉しました。戻ってからも、忠興の嫉妬心から監禁状態にされたりと、つらい日が続きます。そのためか、キリスト教に心の平安を求め熱心な信仰のすえ洗礼を受けました。
 関が原の戦いの時、石田三成の人質になるのを拒んだガラシャは、家臣の刀により悲劇的な最期を遂げました。

浅井三姉妹 −運命を分けたそれぞれの結婚−
茶々・初・小督
 浅井三姉妹の長女・茶々(淀君)は秀吉亡き後、秀頼の生母として大阪城を守りつづけました。
 次女・お初は京極家に嫁ぎ、大坂夏の陣の時、姉のいる豊臣家と妹・小督のいる徳川家の間で仲裁的な役目をしましたが、願いかなわぬ結果となりました。
 秀吉に三度の政略結婚をさせられた三姉妹の末娘・小督。三度目に徳川秀忠の正室となり、秀頼に嫁いだ千姫、三代将軍家光、後水尾天皇中宮和子(まさこ)、を産みました。
また養源院を再興し、姉・淀君の遺志を継いで浅井氏の菩提に努めました。

六歳の嫁入り
千姫
 幼くして秀頼に嫁いだ千姫。大坂夏の陣の際、「千姫を無事救い出す者があれば千姫を妻として取らせよう」と家康は命を出し、坂崎出羽守直盛が助け出しました。しかし江戸へ帰る途中桑名で出会った桑名城主本多忠刻が忘れられずに、千姫は本多忠刻と再婚してしまいます。
 その後忠刻は播磨国10万石の城主となり、忠刻の死後、千姫は落飾し天樹院(てんじゅいん)となり、江戸に戻り竹橋の邸で暮らしました。
漢字館Vol.33 掲載